2015年12月20日日曜日

りんご



喫茶店で昼を食べようと思った。はじめての店だ。
看板にコカコーラのロゴが描いてあるような、どこにでもある喫茶店。
ドアを押すと、控えめにベルが鳴った。
「いらっしゃい。寒いわね、お好きな席にどうぞ…」
と初老のママが言う。チェーン店では絶対に聞くことのない挨拶。

早い時間に来たので、自分のほかに客はいなかった。
最初の挨拶からして、ベラベラと話しかけられるのを少し心配したのだがそんな事はなかった。
店の端では静かにNHKニュースが流れている。
ナポリタンを頼んで、静かに店内を見渡す。

内装は綺麗とはいえないが、掃除が行き届いていて、清潔なのがわかる。
手書きのメニュー。年季の入ったミル。歯の浮くような柄のテーブルクロス。ガタガタしない椅子。

ニュースとスパゲティを炒める音だけが静かに流れている。
メールをチェックしようと思ったが、やめた。この静寂にスマホは似つかわしくない。

その静寂を壊さないくらいの声で、お待たせしましたと言われ、ナポリタンが運ばれてくる。
ベーコンに玉葱、マッシュルーム、それと少量のピーマン。市販の粉チーズ缶。
予想通りのものだ。これでいい。
思ったより味は上品だった。油でベタベタもしていないし、ケチャップがしつこいわけでもない。
うまい。
ナポリタンとにらめっこをして、あっという間に食べ終わる。

よかった。満足した。
水を一口飲む。氷が入っていないのがいい。 この寒い日に氷はいらない。
しかし、なんだか完璧すぎる。「静かな町の喫茶店」のイメージそのものが具現化したようで、完璧すぎてなんだか変な気分だ。

そんな事を考えていると、目の前に小皿が置かれた。
「良かったら食べて。頂き物なのだけれど…」
そういえばお歳暮の時期だな、と思う。

一切れと半分のりんごだ。カウンターを見ると、切られたりんごがまな板の上に置かれている。
手で食べるのも変なのでフォークを取ろうとしたが、やっぱりやめた。ママの洗い物をひとつ増やすことになる。

卓上にある楊枝を一本取って、食べる。
何の変哲もないりんごだが、りんごの繊維がナポリタンの油を洗い流してくれる。うまい。
りんごを食べて水を飲むと、ナポリタンを食べた感覚はすっかり消え去っていた。
やはり完璧すぎる。完璧すぎて変な感じがする。

「ごちそうさま。美味しかったです。」
と言って、1000円札を出す。
「あらそう、良かった。また来てくださいね。お待ちしてますから。」
と言われ、300円を受け取る。

店を出ると冷たい風が吹いていたが、真上から日差しが降り注いでいた。
完璧だった。とてもいい気分だ。

今こうして感じている気持ちを大切にしたい。そう思った。

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