2014年9月12日金曜日

秋葉原の女神2 メイド喫茶はオタクのキャバクラなのか

今回の話は女性は恐らく全く共感してもらえないと思います。不快に思ったらごめんなさい。二十歳そこそこのクソガキの戯言と思って聞き流していただければと思います・・・


先日、池袋アカシウス寄宿舎学園というところへ行った。
まぁ、いわゆる「萌え店」というのに分類されるのだろう。違ったらごめんなさい。
自分がRPGのキャラになりきって、剣士とか魔術師とか賢者とか、そういうのになりきるという喫茶店だ。
メイド喫茶でも、ご主人様や旦那様になりきるのだが、RPGのキャラはなかなかないし、精神的な難易度も高い。なりきりの最難関だと思う。
ここで俺は、メイド喫茶で薄々感じていた違和感を、一気に凝縮して感じた気がした。
そこでなんとなく、その日は俺がメイド喫茶で、いつも感じていた引っ掛かりをここで全て回収出来る気がしたのだ。
常日頃からこの違和感と共に考えていたことは、誰が最初に言ったのか知らないが、メイド喫茶に通わない人がよく言う「メイド喫茶オタクキャバクラ」という言葉は本当にそうなのか、ということだ。
これをメイド喫茶通いの人に言うと、ものすごく怒られたり、嫌われたりするのだけれど。

シャッツキステというメイド喫茶がある。クラシカルなメイド服で、キャバクラのようなコールもなく、店内は喫茶店のように落ち着いている。
そこへ、オタク文化とも縁遠く、秋葉原にも滅多に来ない知人を「オタクキャバクラだと思ったら俺が奢ってやるから」と言って連れて行った。
ちなみに彼には誕生日に「めいどりーみん」を奢ったが、なんだか微妙な顔をしていた。
シャッツキステで彼はメイドと喋る客を少し見て、紅茶を飲んで、代金の半分を僕に払った。
「本質的には変わらねえよ。」
どういう事だろうか。いや、薄々は言いたいことがわかる。
その場にいるメイドを目当てに行っている時点で、ある程度はキャバクラの目的と重なっているという事だろう。
歩き疲れたとき、座ってお茶を飲み、休める場所としても半分は使用している、と彼は思ったのかもしれない。
確かに歩き疲れたから休憩する、そのためにキャバクラへは行かないだろう。
やはりある程度は、「メイド喫茶は、オタクキャバクラ」であるのか。
ではなぜ、彼らはそのレッテルを貼られる事を必要以上に拒絶するのか。
理由は今のところ二つあると思う。

一つは、視点の違い。
そして、そういったロールプレイは、ちゃんと分別が付いている場合、非日常のものだ。
非日常とは日常でないもの、日常を忘れるためのものだ。
そしてメイド喫茶を非日常とする。「メイド喫茶オタクキャバクラ」というレッテル貼りは日常のものだ。
この立っているステージの違いが、レッテル貼りへの反発を呼ぶのではないか。
いわゆる“リア充”の人だって、毎日ディズニーカチューシャつけて歩いてるわけじゃないでしょ。
風俗街にスーツを着たサラリーマンがいるけど、彼らだって電話応対で「セクハラ大好き」とか言わないでしょ。

そしてもう一つは「恥ずかしさ」だと思う。

己の好みをさらけ出す事は、基本的に恥ずかしいのだ。
ましてや自分がご主人様とか、大賢者とか言われているのだ。そりゃ恥ずかしい。
しかもキャバクラは女の子と話をしに行くところだが、メイド喫茶はあくまで「喫茶」だ。
キャバクラ行くの好きなの?」と言われて「好きだよ」と言える人はなかなか少ないだろう。
もしその二つが同じところにあるのだとしたら、それは普通、肯定できない。
別に肯定する必要もない。
何にでもハイハイって言っちゃうのも、それはそれで趣がないと思うし。

今思っている事をとりあえず書いてみた。
これを見返して自分の言いたい事をまとめようとしてみると・・・
つまり、「メイド喫茶オタクキャバクラかもしれないけど、別にそこで喧嘩することはないんじゃない?」ってことかな。

一応、精いっぱい自分の持てるものを出してこれを書いたと思うけれど、俺のすべてがこれに乗り移っているとは思えないし、この答えでみんなが納得するとも思わない。
なので、恐らく僕はまたメイド喫茶へ行くでしょう。

考えに区切りがついたらまた書きます。それでは。

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