2014年9月12日金曜日

コミュニティに対して誠実であるということを、ガンダムEXVS,EXVSFBで考える

“誠実とは何か”について、最近よく考えている。
僕は自分の思う事については誠実に生きているつもりだ。

大辞林 第三版の解説では・・・
せいじつ【誠実】  
偽りがなく,まじめなこと。真心が感じられるさま。

とある。

ふーん。偽りがないことね。

みんなは、コミュニティを大切にしたいと思ったことがあるだろうか。
恐らく多くの人は、自分の所属しているコミュニティを大切にしたいと思っているはずだ。


機動戦士ガンダム エクストリームバーサスというゲームがある。
ゲーセンにある、2対2の対戦ゲームだ。(よく、『カプセルに入るやつ!?』と間違えられる)

僕はこのゲームをよくプレイする。というか、ゲーセンで人並みにプレイできるのがこれしかない。
このゲームは対戦ゲーム。しかも2対2なので勝ち負けが自分だけの責任でない。なので結構トラブルが多い。
勝てなかった時に味方だった人に罵声を浴びせたり、インターネットでプレイヤー名を書き込んだり・・・
そういうトラブルをよく見るし、よく耳にする。
自分だってする。現実に出すことは少ないけど、勝てないと思った瞬間に席を立ったり、気に入らない人だけを狙い続けたり・・・

そういう事があるたびに、「民度が低い」とか、「好きなゲームだからこういう事してほしくない」「自分らまでそう見られる」とか、そういった意見を聞く。

コミュニティに属している自分”というのは、コミュニティありきのもので、そのコミュニティがなくなれば、そのコミュニティに属している自分もいなくなるのだ。
存在論的に言えば、「不安緩衝要素をひとつ失う」ということだろうか。
そして自尊心が低下し、また内膜を傷つけ悪循環に陥る。
つまり、コミュニティの質を低下させるようなことをするということは、自分の質を低下させるということかもしれない。誠実でないということだ。


では、ガンダムコミュニティで誠実にあるため必要なことは何か。
はっきり言う。「女性プレイヤー絡みのことにどれだけ関わらないか」だ。
男女比の偏ったゲームでは、ゲーセンクイーン現象が起こる。
ゲーセンクイーン現象はこの世で最も醜いものの一つだ。
誰も幸せにならない負の連鎖

ガンダムをやる人と話していると、よくゲーセンクイーンの話題が出る。
やめてくれ。俺はそんな話したくない。
その自意識にだけ意識の向いた、気味の悪い笑顔をやめてくれ。
どうしてそんな意地の悪い顔で人の話ができるんだ。
その話をして、僕が楽しんでいると思っているのか?
しかも話を聞く限り、相手がどんな人かもわかっていない。
ただガンダムという共通項があるだけだ。

こういう人たちは、自分の共通項を受け入れてくれることを、自分を受け入れてくれることと錯覚しているのだと思う。
彼らは例外なく自分の事しか見ていない。
自意識にしか注意が行っていないから、そんな恥ずかしい妄想を人に披露できる。相手がどう考えるかなんて、これっぽっちも考えてない。ウンザリだ。
お前らのしていることは、エロゲーと同じだ。他人の会話を自分に投影しているだけのピエロだ。
お前らのしていることは、バレンタインの小学生と同じだ。母親が持たせた義理チョコに恋する12歳だ。
ゲームなんかしないでキャバクラに行った方がいい。

そんな夢と妄想で膨らんだ毒々しい色の風船が、僕の前に突きつけられる。
その風船をどうすればいいのか、僕にはわからない。
風船を割ればいいのか、それともヘリウムガスを発生させている装置を壊せばいいのか。
僕にはその場を立ち去ることしかできない。

彼女らだって、茶化されたり好奇の目で見られたりするのはもう飽き飽きだろう。
そんな疲弊した人たちにさらに負荷をかけるのか。
せめて自分だけはそうしないよう、心がけている。

コミュニティーとはシーソーのようなもので、人と人のバランスを乗せて揺れている。
コミュニティーを大切に思っているのなら、バランスを保っているものには触らないでいるべきだ。
丸太を動かせばシーソーはいびつなバランスのまま、人を乗せて動き続けてしまう。どこかで綻びが出て、みんなで転倒する日が来る。
自分がそのブランドやコミュニティーを大切に思っているなら、物事の支点を考えること。
それが誠実さだと、今のところは思う。

今考えているのは、そんな事だ。

だから僕が下ネタを連発したり、関わり合いになりたくないとよく言われるようなプレイヤー名にするのはそういう事なので、誤解しないでください。ホントです。

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