2014年9月12日金曜日

オタサーの姫(サークルクラッシャー)問題を考える

このブログの記事が編集途中で消えた。全部書いたのに消えた。俺は怒っている。


オタサーの姫という単語が話題だ。
ツイッターをやっていると、一日に一度は必ず見かけるレベルのワードだ。

オタサーの姫とはなんだろうか。
はてなキーワードに記事があったので、引用する。

男性の割合が多い文化系サークル(オタクが集まるようなサークル)に存在する数少ない女性メンバー。サークル内では希少な存在であるため、圧倒的美女でなくともオタク男性メンバーに姫扱いされることから「姫」の名を冠している。
オタサーの姫がサークルクラッシャーとなることがあるが、ならないこともあるようであり、この二つは同義ではない。

だそうだ。まあだいたい想像通りだろう。

そしてネット上でネタにされているオタサーの姫問題は、二つに分けられると思う。

・恋愛リテラシーの低い男性が、目の前の女性を妄信してしまい、姫を作り出すことの滑稽さ

相対的価値によって“姫”となった女性の絶対的価値の低さを突っ込むもの


これで大きく外れてはいないと思う。
この二つの問題?について、今回は考えてみたいと思う。

まず男性側について。
例えば、男性10人のサークルに“オタサーの姫”が入ってくる。
そして取り合いになった場合、単純に計算して、姫を手に入れられる可能性は10%だ。
10%のために全てのリソースを投入するのは、合理的とは言い難い。

さらに問題なのが、こういった場合の恋(恋と呼びたくもないが)は「霧の中の恋」であることだ。
姫を作り出してしまう環境にある人たちは、一般的に見て恋愛慣れ、女性慣れしていないと考えられる。
その中にいきなり女性が降ってくる。
比較する価値(ほかの女性のことだよ)をもたない男性たちは、その女性を妄信する。一人しかいないから。
相手の人格なんかおかまいなしだ。ただ、自分が受け入れられたいだけ。彼女が欲しいだけ。誰でもいいわけ。
彼女が出来れば、人生の閉塞感が解消されると思い込んでいるだけ。
自分への熱量などを考慮することのないまま、ただただ不毛な恋を続けるのだ。


男性側についてはこんな感じ。

次は“オタサーの姫”本体側。

相対的価値というのは、確かに強力だ。
自分が大した価値を持っていなくて、価値を身につける努力をせずともその場ではナンバーワンになれてしまうのだから。

なんでも選び放題。ワオ。クフフのフ。

ただ、相対的価値という虫取り網を振り回して手に入るものは、常に同じものである。
その網にかかる男は、自分を受け入れてくれる女なら何でもよくて、何でもいいから自分の人格なんかお構いなしで、お構いなしだから自分を見つめてはくれない。

相対的価値という価値を提示し続ける限り、自分が得られる価値も、その程度の価値しか手に入れられない。

そんなもん選び放題でも、かっぱ寿司どれでも100円と似たようなもんじゃない?
かっぱ寿司に大トロはない。(もう5年くらい行ってないんでわかりませんが、今は大トロとかあるんですかね?)

ただそれは男を責めて解決することではない。
相手を見ていない、という点では姫側も同罪であるからだ。


男は“女”という記号しか見ていない。
同時に、姫も“自分の価値”という記号しか見ていない。

12時の鐘が鳴っても踊り続ける姫たち。
足元には踏みにじられたカッパ巻き。


この問題を解決するには、社会全体の恋愛リテラシーを底上げするしかないと思う。

男は記号を求めるのではなく、相手を見つめられるようになること。
姫側は自分を本当に高める性愛とは何なのかを考えられるようになること。

全体がベースアップすれば、事態は幾分かマシになるのではないか。
そうなった後、何かが吊るし上げられる事はなくなるのだろうか。
それとも、また何かがネタにされるのか。



記事が消える前はこの3倍くらいの長さがあったんですけど、全部消えて完全にやる気なくなりました。また今度ゆっくり・・・

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